寒の入りです。すでに数日前から朝が以上に寒むて、
車のウィンドウは凍り付き、ドアが開きませんでした。
年が明けてから毎朝、庭の水など凍り付いてます。
小寒に撮影はできそうにないので、1日前に撮影しましたが、
日が昇る前の東天がライラックの様な色彩で
つい見とれてしまいました。
昨日は昨年に引き続き麻田剛立の門下生、高橋至時、その弟子伊能忠敬、そして巣鴨まで足を伸ばして洋画家司馬江漢のお墓巡りをしてきました。
家を出た時にはどんよりとしていた雲行きも、浅草天文台跡についた時には昨年と同じような晴天が広がりました。そして今回は麻田剛立の後だけに、前回とは違った心持ちで墓前で手を合わせました。高橋至時の右に伊能忠敬、そして左側には息子の景保。
帰路の途中から北風が強くなり、コートが飛ばされそうになるぐらい。立ち食いソバで早めの「年越しそば」を頂きました。
除夜の鐘が鳴り始めたのを合図に家を出るとオリオン、シリウスなどの星が目の前に広がっていました。この時点ではまだカノープスの見える地平線が晴れているのかどうか判別できません。急いでいつもの場所へ急行すると送電線の赤色灯に並んでユラユラと明滅する老人星がいました。
今年2度目の日食が12月26日に起こりました。結果、見ることはかないませんでしたが夢が一つ叶いました。それは日本の天文学を築いた巨人を訪ねることです。
麻田剛立(1734-1799)。
1763(宝暦13)年の日食予報を1年前に予報したことで、世間に名前が知られるようになった天文学者。日本の天文学の縁の地を訪ねる旅シリーズ(勝手に命名しているマイ・ブーム企画)で、急遽決まった前倒しの休暇を利用して、今回の日食が千載一遇のチャンスとばかり、まだ訪ねていない麻田剛立に会いに行くなら、この日以外に考えられないと思い、計画もそこそこに新幹線へ乗り込みました。
当然と言えば当然ですが、お墓参りに来る人は誰もおらず、暮れの慌ただしさとは無縁の時間と空間がここにはありました。どんよりとした空で、いつまで待っても欠けた太陽は顔を出すことがありません。腕を組んだまま空を見上げる剛立に「晴れませんねぇ」と声を掛けたものの、彼は身じろぎ一つせず、ただ雲の隙間から一筋の日彼が漏れることだけを期待しているようでした。
そんな情景を想像しながら、自分自身も時々顔にパラパラと冷雨を受けながらじっと空を見つめていましたが、このまま待っていても日食は無理かなぁ、と思った瞬間、隣にいたはずの剛立の気配もなくなっていました。
日本の天文学に興味を持ってここまでやってきました。まだまだ訪ねたい場所はたくさんありますが、わずか1年の間(去年の12月28日から始まった)に渋川春海、高橋至時、伊能忠敬、間宮林蔵らの史跡を訪ね、とうとう麻田剛立にも会うことができました。しかも日食の日に。
その他、地下鉄を駆使して(一日乗車券が便利)間重富、天文観測の地、山片蟠桃、岩橋善兵衛らのお墓参りをしてきました。特に翌日の岩橋善兵衛は、善兵衛ランドという立派な天文台を備えた施設で、2時間近く職員の方をお話をすることができて充実したなにわめぐりの締めくくりとなりました(実際の締めくくりは善兵衛のお墓参り)。
昨年5月から撮り始めた日の出の写真ですが、前回太陽がフレーム・アウトしてしまったため仕切り直しです(トホホ)。
最近、日本の天文学史にハマってしまったので、撮影地にしている神社の歴史を調べてみると、建立は1810(文化7)年前後。その頃、伊能忠敬が九州にて第七次測量中。その前後には麻田剛立の門下生である高橋至時、間重富が「ラランデ暦書」を発行、間宮林蔵が樺太が島であることを実証し(1809)、高橋景保が伊能図をもとに「日本輿地図藁」を作成した頃ということがわかりました。
歴史といったら、私の中では織田信長とか豊臣秀吉とか徳川家康とか、名だたる武将の名前ぐらいしか思い浮かばず。そして今の日本が戦争とは無縁になってしまったため、そうした「いくさ」にはピンと来ないまま学生時代は過ぎていきました(いわゆる平和ボケというやつ)。肖像画を見ても教科書の中の人たちのようです。だから、あまり馴染めなかったのはやむを得ないか…(言い訳)
しかし、自分の興味が江戸時代の天文学に向いたとたん、急に親しみがわき(自分と同じ趣味志向ということも手伝うのはもちろんのこと)、今、自分が身を置いている場所が神社ということもあり、神殿の彫刻の朽ちた姿に目を向けると、とたんに彼らの存在が身近に感じられるから不思議です。
現代音楽の中にあって、難曲中の難曲と言われる「マクロコスモス」。ピアノを打楽器として使うことも想定し、ピアノ内部にも異物を挟み込む「プリペア ド」という奏法で表現する大曲。その性格のため、なかなか演奏される機会がありませんが、2019年に日本人の清水美子のCDがリリースされ、ちょっとし た話題にはなりました。しかし、それでも全曲というわけにはいかず、とりあえず2019年現在では、ドイツのベルリン・ピアのパーカッションというユニッ トのCDが2011年に全4部作をレコーディングしてくれたアルバムが、その全貌が明らかにしてくれています。
20世紀に入り星座をテーマとした無調の現代音楽が数多く作曲されました。ミゴ、ブーレーズ、ケージ、シサスク、シュトックハウゼン、そしてクラム。どの曲も調性音楽とはかけ離れた自由な表現方法で、おおよそ古代ギリシアに広まった星座の世界の、現代人が考えるようなロマンチックな音楽とはほど遠い音楽となっています。この手の音楽は曲目に思いっきり惹かれるのですが、いざ聴いてみるとオカルト映画のB.G.M.なみのおどろおどろしさもあり、実際にこれを流しながら眺めてみる勇気はありません(笑)