日本の天文学めぐり(2023/12/29)

今年の年末「日本の天文学めぐり」は、いつもの源空寺(高橋至時伊能忠敬高橋景保)とそこから徒歩30分ぐらいのところにある谷中の大泉寺のコース。途中、まさかの科博の前を通り(あまり日中に見る景観ではなくちょっと新鮮)、芸大などの風情ある建物を眺めつつ歩きました。

谷中大泉寺




大泉寺に眠っている方は、江戸時代後期の天文方、山路徳風(やまじよしつぐ、1761-1810)です。中山茂編『天文学人命辞典』には

「才助と称す。小倉助左衛門の子であるが、山路之徽(やまじゆきよし)の養子となった。小普請組にあった天明8年(1788)、才助は養父久次郎が多年考えていた西洋暦法を役立てたいと願出て当時改暦の意の強かった幕府を動かし、寛政2年(1790)8月天文型を仰せつかった。翌3年12月西洋暦法によって七曜暦を作成し呈出した。西洋天文学の漢訳本である「崇禎暦書(すうていれきしょ)」をもとに「興端暦書」を作り、さらに同年5年には試暦2冊を完成して上呈している。しかし新暦法として取り上げられることはなく、寛政改暦は「暦象考成後編」をもとにした高橋至時間重富らの力によって成し遂げられることになった」

と説明されています。

山路徳風(やまじよしつぐ)

後ろの二基は嫡男の山路諧孝(やまじゆきたか) と山路彰常(やまじあきつね)の娘とのこと。