星のふるさと

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写真は小学生の頃に千葉郷土博物館(プラネタリウム)の帰りに、

セントラルブラザにあった多田屋という本屋で購入した「星のふるさと」と、

サザンクロス観望会当日(1/23)に届いた

四日市市人権センター発行の冊子「星のふるさとのこころ」

そして、

あれから二回目(1971、1988)の2003年の火星大接近のときの私のスケッチ。


星のふるさと(鈴木壽壽子著)

1975年12月5日誠文堂新光社発行


エッセイの中の「姉弟の星」にこんな一文がしたためられています。

“太陽に育てられ、太陽のまわりで暮らしている星の姉弟が、十五年ぶりに出会うとき、どんな話をするのだろうか”


鈴木さんが体験し、スケッチを取っていた1971年の火星大接近。

その次の大接近時に私は初めて火星の大接近を経験しました。

まだ言葉の持つ意味もわかっていなかったと思います。

そして次の2003年の大接近時にはサザンクロスの観望会で多くの方とその時を迎えました。


“十五年ぶりで、たったひとめぐり、星座の旅を終えて帰る。そこに、高成長、高福祉の実現をめざす、槌音高い日本がある”


“月に旅するほどの力も、戦いの火を消し去ることはできない。また、死の衛星の上で生命を保つ知恵も、町の片隅に失われてゆく、小さな一つの生命を、救うことはまだできない。”



私が二度の大接近で過ごした日々で何が変わったでしょうか?

もしかしたらまた同じことを言わなければならないのかもしれません。


“この美しい、青と白とのサラサ模様は、そのまま、繁栄と悲惨との、果てしない渦の姿なのです” と。



☆ ☆ ☆

現在、四日市市人権センターにて、

「星のふるさとのこころ」と題した企画で、

読書感想文やエッセイ、星空スケッチなどを募集しています。


http://www.city.yokkaichi.mie.jp/jinken/index.htm



私が「一番星のなる木」を書いたのも、

古くは「星のふるさと」の影響が大きかったのです。


“コンビナートの夜のきらめき それが星でないのが悲しい” 


この詩に込められた作者の思いが、

多くの人に届くことを祈ってやみません。


http://tupichan.net/Cosmos/Cosmos_HoshinoFurusato.html