大火球(2024/01/15)

 06h55m、西の空低く(40〜30度ぐらい)北へ向かって、金星のような色をした大火球が、途中緑色に閃光しながら見えました。時間にしておよそ3秒程度。職場に着くと、ニュースで知ったスタッフから「朝、すごい流れ星が飛んだみたいですねぇ」と声をかけてくれました。

「(ふふん)あっ、見ましたよ、それ!」

すでに東の空には太陽が昇っていたことを考えると、かなり明るい大火球だったのではないでしょうか?ネット上では動画などもアップされ、場所によっては流れた後、4秒後ぐらいに衝撃波が鳴ったそうです。

(今回の大火球の目撃は、朝寝坊したおかげ。いつもは最寄り駅まで30分歩くのですが、太陽に向かって歩くので東を向いています。が、今朝はこたつで目が覚めたのが家を出る時刻!やばい!遅刻する!いや、バ、バスに乗れば何事もなかったことにできる! バス停へは西を向いて歩きます。 バスに向かう途中、しかもバスに乗り込む直前の目の前を緑色に閃光する大火球が出現したのです! バス待ちの人は、誰も見ていませんでした)

月は沈む

 

カノープス(2023)

今年もカノープス詣。南中の頃。海上には三ツ星ほどの、あるいはおおいぬ座δとεの間隔の間隔に匹敵するぐらいの高さで昇ってきます。

カノープスりゅうこつ座α、そして布良星

 

日本の天文学めぐり(2023/12/29)

今年の年末「日本の天文学めぐり」は、いつもの源空寺(高橋至時伊能忠敬高橋景保)とそこから徒歩30分ぐらいのところにある谷中の大泉寺のコース。途中、まさかの科博の前を通り(あまり日中に見る景観ではなくちょっと新鮮)、芸大などの風情ある建物を眺めつつ歩きました。

谷中大泉寺




大泉寺に眠っている方は、江戸時代後期の天文方、山路徳風(やまじよしつぐ、1761-1810)です。中山茂編『天文学人命辞典』には

「才助と称す。小倉助左衛門の子であるが、山路之徽(やまじゆきよし)の養子となった。小普請組にあった天明8年(1788)、才助は養父久次郎が多年考えていた西洋暦法を役立てたいと願出て当時改暦の意の強かった幕府を動かし、寛政2年(1790)8月天文型を仰せつかった。翌3年12月西洋暦法によって七曜暦を作成し呈出した。西洋天文学の漢訳本である「崇禎暦書(すうていれきしょ)」をもとに「興端暦書」を作り、さらに同年5年には試暦2冊を完成して上呈している。しかし新暦法として取り上げられることはなく、寛政改暦は「暦象考成後編」をもとにした高橋至時間重富らの力によって成し遂げられることになった」

と説明されています。

山路徳風(やまじよしつぐ)

後ろの二基は嫡男の山路諧孝(やまじゆきたか) と山路彰常(やまじあきつね)の娘とのこと。 

 

冬至(2023/12/22)やぎ座の意味。

日の出6:45(この写真は7:15にパチリ)


 冬至です。日の出時の影は四季を通じて変わりませんが気分的に、いや環境的に寒い、空の色が濃いので、やっぱり年末を感じさせられます。今日を境に太陽は夏至を目指します。崖っぷちの山羊が崖を駆け上るが如く(だからこの位置にやぎ座が設定された)、太陽も天頂を目指して出発。

 

(夜が短くなることを思うと、ちょっと寂しい)

日の出の反対側

 

月、復活

三日月、12月17日


ふたご座流星群を境に明け方から夕方に回ってきた月。

昨日まで南風が強く吹いて、12月とは思えないぐらいの暖かさになりました。

西の空に三日月。1週間ぶり。

 

木星の四大衛星(ちっさ!)

宵の空で堂々と輝いている木星を、コルキットで眺めるとこんな感じ。

今夜は両脇に従えてます。

やっと風が収まってくれました。