上野までの道案内

コロナの影響で昨年3月から中止になっている科博の天体観望会。そのため、私も上野に行かなくなってしまったから、これは久しぶりの上野になった。

 

仕事帰りの四谷駅で「どなたか!この方を神田で降ろしてあげて下さい!」と叫ぶような声が電車の乗降口の方から聞こえて来た。最初はヨッパライかなにかが騒ぎながら乗り込んできたような感じだったから気もとめていなかったが、扉が閉まり列車が動き出すと人影の中から現れたのは腰を丸めたおばあちゃんだった。コンビにでもらうようなビニール袋を一つぶら下げてよろよろしている。特に誰かに話し掛けるわけでもなく、誰かが話し掛けるわけでもなく。列車の動きが速くなるにつれ、おばあちゃんとの距離がだんだんと縮まり、最終的に私の隣にどすんと座った。

「東京に来るときは人につれられて来たからどってことなかったんだけど、帰りは一人だから、なんだか全然わかんなくてねぇ…」独り言のようだったけど、間もなく同じことを繰り返してニコニコしている。

 私の脳裏に不安がよぎる。おそらく目的の神田についてからも同じことを繰り返しそうだったから「神田についたら家に帰れるの?」と訪ねると「上野に行きたいの」と返事が返って来た。そして手には駅で書いてもらったらしい降車メモにも、確かに上野と書かれているのが読めた。そうなると家が上野というのが怪しく思えてくる。「上野まで行けば帰れるの?」と聞くと「新幹線に乗ってサクダイラに帰るの」と言う。 「(でぇ〜 !? ←心の叫びのようなもの)サクダイラって、わかんないけど、小諸の佐久のこと?」と聞き返すと、「小諸から小海線に乗ってね、佐久平まで帰るのよ、今日は四谷で… (またハジマッタ…)」

これはおばあちゃんに取っては大冒険になりかねない。というか大冒険だわ。思わず「とりあえずは上野一緒に行ってあげるから、安心して」と言うと「来るときは連れられたから良かっただんけど、今日は四谷でバレーの練習が…」「あ、ハイハイ」

 

 上野につくまでの間、電車の音にかき消されそうなおばあちゃんの話を聞きながら車窓の外の流れる夜景を眺めた。ビルの間を飛び回るように、半分よりちょっと太った月が見え隠れしている。私の地元も、おばあちゃんの所の佐久平も、おそらくはこんなにネオンが色とりどり見えないだろうと思う。でもこの月なら一緒だ。

 

上野駅では新幹線乗り場を駅の案内の人に尋ねながら、結局降りた山手線から新幹線までのホームは端から端まで離れていて、ちょっとおばあちゃんには気の毒だったかもしれない。ようやく地下ホームまで辿り着いた所で、ガイドスタッフに事の次第を説明し、おばあちゃんとは手を振って別れた。

 

 小諸までの新幹線だったら、あっという間の時間かな。少なくとも私が在来線で家に帰り着くよりも早く到着しているに違いない。

 地元の最寄り駅から家までの道のりを、いつもの用に星空を仰ぎながら月を見上げると、今日は寒の戻りの影響で、久しぶりに北風も吹いて星空も冷たく輝いている。おばあちゃんも地元に帰って、見慣れた景色の中で々月を見上げてほっとしているに違いない。

 

 今日の夜は何を聴きながら寝ようかな? モーツァルトのピアノ協奏曲の弦楽四重奏曲版。規模が小さいから静かに眠れそう。ジャン・フィリップ・コラールはラヴェル弾きのお気に入りのピアニスト。

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モーツァルト・ピアノ協奏曲(コラール&ミュイール弦楽四重奏団