ニール・ドグラース・タイソンがホストを務める「コスモス:時空と宇宙」が、ナショナル・ジオグラフィックで一挙放送がありました。
実際にこれが放送されたのは2014年3月だったようで、私はかなり遅れること、本日ナショナルジオグラフィックで全13話一挙放送なのです(とはいえ、実は放送していたのは知っていたのですが、まさか新シリーズだったとは思ってもみませんでした)。
コスモスのページでも記載している通り、これはカール・セーガンの「コスモス」の続編という位置づけになっていて、プロデュースにはアン・ドルーヤンが一役買っています。新シリーズのホストは、「コスモス」を子供の頃に見て天文学者になったというニール・ドグラース・タイソン。すごい!私はごく普通の会社員だっていうのに!(笑)
番組冒頭、なんと懐かしいシーンで幕を開けます。このあたり、「コスモス」が世界60カ国以上(?)に放送され、世界中にいると思われるセーガン信者に向けての「ご機嫌取り」とも思えなくもない演出です。
しかし、こうした演出も、実はこの回の最後にタイソンとセーガンの出会いのエピソードがあって、そこで私的には考えが変わりました。そして彼以外に新シリーズを背負って立つ人物はいないだろうと思えます(まったく番組の内容とは関係はないのです。ちょっと涙出ました、このくだり)。
これがなければ、私は今回きりで、もう見なかったかもしれません。しかし、このエピソードを知って、もう一度最初から見直してみると、最初に「ご機嫌取り」と書いてしまったことに対して謝罪したくもなりました(じゃあ、書かなきゃいいじゃん。ということなのですが、この演出こそが新シリーズにとして始めるための種だったのかもしれません)。
番組最後に来てやっと打ち解けたという気がしてきました。というのは、今回のシリーズではやたらと過去の焼き直しが(たとえば宇宙カレンダーとか)あって、ずいぶんセーガン版を引きずってんなー、と思っていたからです(実はひきずっているのは私の方なんですよね)。
もうひとつ、伝記の部分でのアニメーションタッチの怖いこと。アメリカン・コミックにあまり親しんでいない(ピーナッツ以外は)私にとって、このタッチはあまりなじめません。ジョルダーノ・ブルーノのエピソードは全員が犯罪者みたいな顔してます(笑)。
まだ全話見ていませんが、このブログではこれから最終話まで、個人的な番組解釈とこの番組への思いをつづってみたいと思います。
「では、ご一緒に?」
セーガン博士は「では、ご一緒に(Come with me)」といい、タイソン博士は「では、ご一緒に(Now, come with me)」と言って私たちを時空と宇宙の旅に誘ってくれます。
P.S.
気になるのは音楽(科学番組で音楽を気にするのも珍しい)。当時の科学番組でクラシック音楽を使ったのは前代未聞でした。版権の問題とかもあるし。しかし、それをクリアにしたのはセーガン博士の熱い思いからにほかなりません。この番組以外で、そうした既存の曲を使った番組はほとんど見ません。しかし、今回はあえてそうした演出をせずに、この番組のために書き下ろした音楽を使っています。その音楽を担当しているのはアラン・シルヴェストリ。そう、カール・セーガン原作、ロバード・ゼメキス監督、ジョディ・フォスターとマシュー・マコノヒーの「コンタクト」コンタクト」を手掛けた作曲家です。このあたりは憎い(ファンも納得)演出ですね。