家から100キロぐらい離れた先端まで来ると、肉眼で冬の天の川も見えてきます。今夜はうっすらもやっていたかも(北風あって寒かったけど)。カノープスには間に合わず。
旧暦1月26日 二十六夜待ち
今日は旧暦1月26日。観月のうちの一夜「二十六夜待ち」が行われていた日です。もしかしたら今もどこかで、ひっそりと行われているんでしょうか?
このお月見、月の出の際に、阿弥陀・観音・勢至という三尊の姿を見ることができ、これを拝むと幸運が得られるという信仰から江戸時代に広まったそうです(私の場合は純粋に月の出を愛でるぐらいで… )
と言っても、朔から数えて26日目の月なので、ある浮世絵を見ると満月で描かれることもありますが、夕方の空に掛かる三日月の逆パターンです。ただし、浮世絵には遊びでウソを描くことがあるらしく、浮世絵では既婚の女性(子を抱いている)に眉を描いたりすることもあったようで… お月見と言えば満月を連想させるところから「あえてウソを描いた」という説もあるそうです。(おもしろいなー)
季刊誌『星の手帖 第二十五号』に、図解入りで具体的な記事を読むことはできるので「三尊」の姿が出現するシーンは、なんとなく想像がつくのですが、たとえば今夜(?)の実際の月の出の時は、船のように真横の状態ではなく、写真の通りかなり斜め状態で登ってくるために、両サイドの角のような月面が揃って同時に出現は無理だったようです。
だからと言って昔の風習を非難するわけではなく、純粋に日本人の、ひいては人間の心に生まれた自然な形での自然現象への信仰、畏怖の気持ちなどは忘れたくないものです。
とはいえ、本日のように、1月(冬)の「二十六夜待ち」はあまりにも寒くてはやらず… 当時から盛んにおこなわれたのは旧暦7月26日だけだったようです。しかも月見そっちのけのどんちゃん騒ぎ的なお祭りのような月待ち(笑)。月の出は日の出前の時間帯なので、おそらく多くの人々は酔いつぶれ、実際に月を拝めた幸運な方々は、浮世絵などに描かれた大勢のうち、ごくわずかだったんじゃないかと思います。そこも面白い。
私も浮世絵の風情を求め、名残を探しに都内四カ所(神田、九段、高輪、谷内)を訪ねたことがありますが、そこに現れたのは林立するビル群。どこに空が?という有様です。それでもそこには「観月」「二十六夜待ち」という言葉が記された史跡案内が立っています。
さて、「今日は」と書きましたが、すでにお月様は3時前(2:56)に東の空に登場し、日の出以降は南の青空を染める一筋の雲のように真っ白な姿を、やや西に傾くような姿で掛かっています。昼過ぎには西の空に没するので、空を気にしていない限り「お月見」はできません。
この二十六夜待ちは、地元でも行われていた形跡が石碑として残されているのですが、現在安置されている場所ではないところから、区画整理のために一カ所に集められたんだろうな、と思う今日この頃です。
2023年度最小の満月
ちなみに私が確認できた最も最接近に近い日は1月19日。未明の満月は最も遠い位置での満月でした。私のところからだと約8000キロは近い(なので最小値よりか大きく見えた)ようです。
グリニッジにおける最遠:409,169km
私のいるところ…:401,586km
(距離の計算は「お星様とコンピュータ」さんを利用させていただきました)
…まぁ、イギリスと時差で9時間も離れていれば、地球の半径分近くは遠のくことかと…
なお、
は8月31日です。
【回転について】550周年!
2023年の今年、今から550年前の1543年にニコライ・コペルニクスが出版した『回転について』から550年目となります。今朝、やっと睡魔と寒さに打ち勝って、西方最大離角となっている水星を見ることができました(裏山の神社)。
コペルニクスは何故水星を見ることができなかったのか? ずーっと前にもこのブログで書いた気がしますが、ポーランドの緯度と水星の高度の関係、予報の曖昧さ(なんといってもまだ地球中心説の時代であり、楕円軌道にたどり着く前の正円軌道と思われていた)なども手伝って、見ることができなかったのではないでしょうか? あるいはその時刻、早朝、もしくは夕刻は教会のお勤めがあって抜けられなかったとか(←新説、笑)
2023年最初の西方最大離角はおとといでしたから、起きられればもう少し高い位置で、そして若干暗い空で見つけたかもしれません。ちなみに昨日は起きてすぐに東の空を確認しましたが、そこだけに雲! そっこうで布団にもぐりなおしました。
コペルニクス関連(最近の研究書より):
☆コペルニクス 地球を動かし天空の美しい秩序へ(ジェームズ・マクラクラン)
☆世界の見方の転換(山本義隆)
ち。地球の運動について(魚豊)
もうさそり座が昇ってます。